4年生のときか5年生の時か定かでないが、五箇荘駅でなにか Maco が
悪いことをしたのか、駅員が Maco の定期券をとりあげた。
Maco は定期券を取り上げられるような悪いことをしたおぼえがないので、
定期券を返してくれるように泣き叫んだ。
駅員はその様子が面白いのか定期券をかえしてくれなかった。
その当時、おまわりさんに相談することも思い浮かばず、中山道を徒歩で
帰った。
このことを家では話さなかった。
翌朝からは、何かと理由をつけてお金をもらい、往きは電車で行った。帰りは
中山道を徒歩で帰った。
毎日授業が終わると、五箇荘駅へ行き、定期券を返してくれるように言った。
しかし、定期券を返してくれなかったので、いたしかたなく徒歩で帰った。
4~5日で定期券は返してもらえた。
このときも何故定期券を取り上げたのか説明はなかった。
今思えば、戦後のどさくさでいろいろなことが行われたのであろう。
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