1948年(昭和23年)4 月、日枝小学校に入学した。手もとに
残っている通信簿をみれば、乙組であった。
この小学校には、3年迄在籍した。
この小学校での出来事で記憶にあるのは三つである。
一つは、頭と、背中にいわゆる DDT をシラミよけ、駆除のため
散布されたことである。
皆さんもご承知のように、DDT は日本では、戦争直後の衛生状況
の悪い時代、アメリカ軍が持ち込み、シラミなどの防疫対策とし
用いられた。
現在では、1981年に化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律
の第一種特定化学物質に指定され製造と輸入が禁止されている。
二つ目は、毎年秋に行われる運動会で、他の家族がおいそうに食べ
ていた青いみかんがもの珍しく一度食べてみたいとおもっていたこと
である。黄色い普通のみかんは食べてその味を知っていたが・・・
三つ目は、運動場で誰かが投げた石が Maco の左目にあたり、その
治療を受けるため、近江鉄道の豊郷駅近くの病院に、通院したこと
である。
この豊郷駅近くに広大な屋敷があった、この屋敷は、伊藤忠創始者
の伊藤忠兵衛さんの屋敷であった。
この目の事故と母親の差別的感情から、転校させられた。
1年生の時の通信簿の表紙
小学校2年の時の教室での写真
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